メスキノコBLOG

ぽんこつギャルバンドのメンバーによる ぽんこつな日記・・・ライブinfoなども。。。

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戦場からのラヴレター

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26日の昼に同居していたおばあちゃんが亡くなった。

もうすぐ85歳の誕生日を迎えるところだった。
虫の知らせか?日曜は親戚の大多数が偶然にもおばあちゃんの面会に来ていたらしい。
亡くなった日の翌日は亜弥も休日で、橋本からすぐに飛んでこれた。

もともと肺の病気を患っていたのでそれが悪化しtて数ヶ月前に入院していたのだが
寝たきりになり、私と母が面会に行くたびにやせ細っていった。
食事を口から入れることが出来なくなり、管で入れるようになってからは、体のほかの機能が著しく低下するため、そう長くは生きられないと医者に言われていたのだが、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思っていなかった。

肺炎で容態が急変したのは日曜日の午後。翌日様子を見に行ったら酸素マスクをしているものの、なんとか会話も出来るくらいに回復していたので私たちはひとまず安心していた。「あと1週間は様子をみよう」といわれていたからだ。しかし実際は、相当に呼吸が困難な状態だったらしい
夜中に脈拍がかなり低下して病院から呼び出しの電話が来たが、そこでもなんとか復活したおばあちゃん。
しかし火曜日の朝からもう目を開けられないくらい状況は悪化していた。
am11時過ぎに病院にいる母から「おばあちゃんが危篤」と呼び出されて、急いでタクシーで病院へ向かう。
到着すると父母は泣き顔、いつも世話していた(おばあちゃんの年の離れた妹)カワちゃんも落ち着きがなくなっていた。
おばあちゃんは虫の息だった。

そこから約1時間おばあちゃんは浅い浅い呼吸でがんばった。どこまで意識があったのかはわからないけど、それほど苦しんではいなかったように思える。
先生がやってきて「脈拍がもうほとんどない」と告げ、ついにその時がやってきた。
カワちゃんがおばあちゃんの肩をとんとん揺らして「息をして!」と言い、母は「今までありがとう」とか口々に言った。みんなが泣きながら感謝の言葉やなんかをおばあちゃんに言っているとき、私は言葉に詰まってしまい何も言えず、なきながら見ていた。
そして、かすかに動いていた喉の動きがゆっくり止まり、静かに息をひきとった。
私は、目の前で確かに「命の炎」が消えていくのを実感した。初めてのことだった。

その日は一日中ばたばたしていたが、翌日落ち着いてから 家族や親戚一同でおばあちゃんの遺品を整理した。

おばあちゃんには4人の子供がいた。
私の父は末っ子だが、姉たちが世話やきなおかげで、おばあちゃんはしょっちゅう旅行に連れて行ってもらっていた。なので大量の写真が残されていたのだ。
和室で静かに横たわるおばあちゃんのそばで、私たちはおばあちゃんの思い出の写真達を眺めて故人を偲んだ。

おばあちゃんは物を捨てられない人だった。
写真も最近のものから大昔のものまで全て残っていた。昭和36年頃の街並みもちゃんと写っていて、戦後の日本がどんなだったかをリアルに知ることが出来る。おばあちゃんが20代だったころの写真も見つけた。
背が高くて鼻も高くて女優みたいにキレイだった。驚きだった。友達と旅行に行ったときの写真ではは若々しく無邪気に笑っていた。「人は皆、年をとるんだね」と亜弥が言った。

写真のほかに、レコード。
おばあちゃんは若い頃、長唄と三味線を習っていた。
唄が得意なのは知っていたが、長唄で(わりと)スゴイ名を襲名していたらしく、賞状と襲名した名が記された木札も見つけた(二つは棺の中へ)
おばあちゃんが唄っているレコードは私がもらうことにした。ちゃんと聴いてみよう。

ほかに、おばあちゃんが昔もらった手紙や葉書も見つけた。
その中には戦時中に、戦場から届いたらラヴレターみたいな内容の葉書もあった。
(若い頃綺麗だったので、結構モテてたのかもしれない)
葉書はかなり古くて汚れたもので、「軍事郵便」「検問済み」とあり、同じ名前の男性から複数枚送られていた。
「マライ派遣」とあるので、外国の戦禍の中からおばあちゃんにあてたものだったのだろう。とても貴重なものだ。
一面に細かく書かれている内容は
「層一層敏子さんを思いつつあり」
「遠方よりご幸運を祈る」
「小竹さんは ジャングルの中で悪性マラリアにかかって逝ってしまった」
「椰子の家で 夜中寝ていると椰子の実が落ちてドカーンと凄い音がする」
「当地は殆ど酒はありません、薄いビールがあるくらい」
「シナの食事もおいしい」
とか、他にも字が達筆で読めない内容が多いのでここには書いてないけれど、
生々しい戦時中の様子が書かれていた。

ちなみに おじいちゃんからのラヴレターは棺に入れた。


85歳まで生きたおばあちゃん、激動の時代を生きたおばあちゃんは安らかに最期を迎えた。


ちなみに 私は「おばあちゃん子」ではなかったが、おばあちゃんは私にベッタリだった。
なぜだかわからないが、私の(昔は)細長い顔がおばあちゃんの顔に似ていたからか?
とにかくおばあちゃんは私にベタベタで、冷めていた私はむしろ疎ましく追い払っていたこともある。
年のせいでボケかかった頃も、酷い言葉を浴びせてしまったこともあった。申し訳ないことをした。
生前おばあちゃんは「わたしが死んだらノブんところに毎晩出るから」と両手を垂らして冗談を言っていたが、
今はまだ出てきてない。
ただ、水曜の朝、2階の寝室から1階のリビングに降りてくる際は、扉の向こうに何となくだけれど気配を感じた。私は霊的なものは見えない人だけど、いつものおばあちゃんが座っている席になんとなく気配があった。

5ヶ月ぶりに帰ってきたんだな、と思った。







ーーーーーーーーーNEXT LIVEーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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KIMI×キノコの
 まんなか記念日~vol.2

 2010年11月14日(日)

 at 中野MOONSTEP

 OPEN 18:00/ START 18:30

  ---------Charge---------
 ¥1,200
 +1D ORDER


  -----------Live-----------
 KIMIBOKU
 メスキノコ
 cottonioo
 S.M.L.XL
 The マスカッツ

※順番はのちほど発表します。

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  1. 2010/10/30(土) 15:48:09|
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